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2004年10月20日 (水)

創作短編小説 「あの頃君は」Ⅰ

 きょう、とても懐かしい人に出会った。
 私は、今、年末休暇で実家のある小さな田舎町に帰っている。
 久しぶりの我が家にぐっすり寝込んでいると、階下の電話の鳴る音に目が醒めた。時計を見るともう12時近くになっている。下で電話を取ったのは父だったのだろう。「うん、うん」と言うぶっきらぼうな声が時々聞こえてくる。
 ゆっくり階段を上がってくる音がする。
 そろそろギーッ、ギーッギーッと踏み板が三度鳴るはずだ。
 古い家であったから、子供の頃から、階段の真ん中辺りとそれをひとつ飛ばした続きの2段が必ず奇妙な音を立てていた。
 二階に部屋を与えられていた私たち兄弟は、この音がするとそれまで寝っ転がって読んでいた漫画本を閉じ、慌てて机の前に座り、教科書を広げ、鉛筆を手に取った。母は、私たちの様子をそっと覗こうと、階段が鳴らないよう苦心して上ってきたりするのだが、苦心すればするほどその音は、ますます大きな音をたて、私たち兄弟の警戒警報となった。時々、その音が一度だけのことがあった。母がきしむ段を飛ばして上ってくるからだ。けれども、一段一段の段差が大きいため、音のする続きの2番目と3番目の段を一気に飛び越えることができない。どうしても3番目を踏んでしまう。その音は2番目の段を飛び越してきたぶん、力が入ってしまい、格別大きな音を立てた。その様子を知っている私たち兄弟は、その度に顔を見合わせ、くすくすと笑い合った。
 父は、きっちり三度、階段の音を鳴らし、襖を開けて入ってきた。
 「母さんから、車で迎えに来て欲しいと電話がかかってきたが」
 見上げた父のあごの下辺りに白いものが見える。シェービングクリームだ。そういえば母が、退職後も父は、たとえ外出することがなくとも、今でも毎朝、きちんと髭を剃っていると電話で話していたことがあった。長い間、町役場でこつこつと仕事をしてきた父らしいと思った。私の指摘に、父は少し照れたように笑いながら、あごの辺りを手でぬぐった。
 母は、知り合いの家に餅つきに行ったらしく、帰りには暮れの買い物にも行きたいので車で迎えに来て欲しいと言っているという。
 睡眠も充分に足りたことだし、私は二つ返事で家を出、車を走らせた。
 この山間の町は、子供の頃とあまり景色が変わっていない。田と畑の中をくねくねと曲がりながら道路が一本走っている。その道は、小さな川の流れに沿って続いていた。白サギが二羽、悠然と浅い水の中に舞い降りてきた。子供の頃はここでドジョウを捕まえたり、シジミをとったりしたものだが、今もいるだろうか。もしかすると、このほとりをゆっくりと歩いていけば、昔のようにカワセミを見つけることもできるかもしれない。遠くの畑で、夫婦だろう、一組の男女が畑仕事に精を出している。車が気になるのか、腰を伸ばして、ふたりしてこちらをじっと見つめている。誰かが訪ねてくる予定でもあるのだろうか。

 広い町道から垂直に私道を少し上ったところに母の訪れているその家があった。
 玄関先には、車が一台止まっている。シルバーメタリックのそれは、無人の運転席をこちら側に向けて停車していた。縦に並べればその細い道に私の車も入らないことはなかったが、乗り入れる事はやめ、町道に車を止めて待つことにした。母に到着したことを知らせようかとも思ったが、先の車が出て行ってからでも遅くはない。それにここからその家の玄関先は一目瞭然であるから、母が玄関から覗けばすぐわかるはずである。
 その家は、この辺りには珍しい茶色の瓦を乗せた大きな家だった。垣根はぐるっとカラタチの木で作られていた。花や木の名前には疎いが、とげを持ったこの木だけは私にもわかる。カラタチの木には春から夏にかけてアゲハチョウの幼虫がつく。小学生の頃はこれを捕まえ、幼虫からサナギ、そして成虫になる様子が見たくてこの木を探し回ったものだ。玄関先にはマンリョウの木が植えてあった。赤いたくさんの小さな実が、まもなく正月であるということを思い起こさせる。
 母は、なかなか出てこなかった。先の車の主も出てこないことからも、きっと話が長引いているのだろう。
 車のガラス越しに温かい日差しが差し込んできてまたもや眠けを誘う。カーステレオのスイッチを入れてみた。テープを突っ込んだままのカセットデッキから、昨夜、こちらに帰ってくる間中聞いていたハスキーボイスの女性の曲が流れてきた。彼女の曲は夜、聞いている分には良いのだが、この明るい日差しの中では気だるいような鬱陶しさを感じる。ラジオへの切り替えスイッチを押す。チューナーを根気よく細かく回すが、ここは山間に位置するからだろう、思ったような音を発するチャンネルをみつけられない。
 突然の話し声に顔を上げてみると、その家から、背の高い若い男と幼児を抱いたすらりとした女が出てきた。夫婦なのだろう。この家の人たちとひと通りの挨拶を終えると、車に乗り込み、玄関先の道をこちらへと下ってきた。待っている私に気が付き男が頭を下げた。そして女も同じように頭を下げ、目の前を通り過ぎていった。が、その微笑んだ女の顔を見て、私は、思わず小さな声をあげてしまった。
 「アヤちゃん・・・・」
 車を呆然と見送っていると、母が
 「上まで上がってきてくれればいいのに」
 と、ぶつぶつ言いながら乗り込んできた。
 突然開いたドアに、私は、飛び上がった。
 「なにびっくりしとるとねえ」
 「あっ、いや」
 私は、上ずりそうな声を必死で押さえて聞いてみた。
 「今出て行ったあの車、誰?」
 「ああ、あれね。あれは、君子さんの弟夫婦。赤ちゃんを抱いていた夫婦やろ?」
 君子さんとは、この家の奥さんの名前である。私はどうにかして赤ん坊を抱いた彼女のことを聞き出したかった。
 「弟さんって、君子さんとは年が離れてるね」
 「うん、一番下の弟さんやからね。確か、あんたと同じくらいかちょっと下だったかね」
 「あの奥さんは?」
 「……」
 「俺、どっかで見たような気がするんだけど」
 「どこでね?」
 なんだか、母の顔が険しくなった。
 「いや、だから、どっかでだって。大学ででも一緒やったかな」
 「ああ、弟さんの方は、あんたと同じ大学やけど、奥さんのほうはねえ…」
 「奥さんの名前はなんていうんか?」
 「アヤコさん?やったかな」
 「あんたさっきから奥さんのことばっかり聞きようけど」
 「あっ、いや、だから、大学で一緒やったかなと思ってって言ったやろ。苗字や、苗字を聞いたんや」
 「旧姓なんかわかるわけないやろ」
 「それよりも、あんたもそろそろお嫁さん、貰わんとね」
 「あの赤ちゃんね。ヒロ君言うんやけど、可愛いいんよ。私にもなついてね。お嫁さんもいい人やし、ほんとに弟さん、いい人を見つけたわあ。あんたもあんな優しい人を見つけてくれるといいんやけどね」

 母には言えなかったけれど、私のほうが、君子さんの弟さんよりもずっと早くあの人、アヤちゃんを見つけていた。
    
                                                              つづく

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