エッセイ

2017年7月10日 (月)

生き方

 
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 大勢の中で目立とうとは思わないけれど
 自分らしくはありたいと思う。
 
 個性的になろうとは思わないけれど
 
 信条を持つ人でありたいと思う。
 
 
 請われれば、自分の意見をはっきりと言える 人でありたい。
 
 けれど、 自分の意見を他人に押し付ける人にはなりたくない。
 
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レッスン時間が合わなくなったため、チェロ教室を変わりました。
 
 こんな田舎なのですが、チェロを習おうと思う人は多いようで、やっと、ある教室の平日の昼間に空きがひとつあるのに行き当たりました。
 
 基本を最初からやり直しですが、新しい先生は、なぜそうした形が良いのか、なぜそういいう練習が必要なのかなどと理屈をもって教えてくださいます。大人の私には、そのほうが、理解しやすく、また覚えやすく、性に合っているような気がします。
 
 きっと子供だと何も考えず、素直に支持通りすんなり体に取り込むのでしょうが、大人は、下手にいろいろな知識があっていけません。
 
 余計な知識だけはあるけれど、音楽経験の少ない大人に教えるのは、大変なことだと思います。(^-^;
 
 
 
 

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2015年11月20日 (金)

制約があってこその解放感

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友人が言っていました。
「今日は、旦那が出張だから、嬉しいんだ。夕飯もいい加減でいいから。この1週間自由を満喫しているんだ」
「夜なんて1人が楽しくって、眠る時間がもったいなくって、いつもよりつい遅くまで起きているんだ」
と。
友人のご主人は、決して奥さまを束縛しているこうるさい方ではありません。
とても奥さま思いの優しい方なのです。

でも、友人のその気持ちわかります。( ̄ー+ ̄)

自分の食事なんて適当なものでよいのですし、時間だって何時になったってかまいません。
全てが自分ひとりの時間ですから、好きなことが思い切りできるのです。

母もやはり昔、同じようなことを言っていました。
けれど、父が亡くなってしまうと、

「お父さんが生きていたならね~。二人で○○したのに」

「やっぱり1人は寂しいよ」

と度々口にします。

制約があってからこその楽しい自由なのですね。

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2015年11月16日 (月)

全てのことに感謝して。

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「今日できることは今日のうちに済ませてしまいなさい」
子供のころよく言われた言葉です。
小学生のころはその言葉を守って、夏休みの宿題もすべて7月中に済ませていました。
それが、だんだん成長するにつれて先延ばし先延ばしを覚えていき、いまでは、切羽詰まらなければ重い腰が上がらない。

「今日できることは……」
と言っていた母も、「埃が少々溜まったって死にはしない」とのたまう。
「うん、うん、そうだね」と少々後ろめたさを感じながら、そんな母に同調する自分がいます。

やりたくないこと、面倒なことは後回しになってしまう。

がん治療で入院していたころ、化学療法のため朝から夜までずっと薬剤投入の針を刺したまま過ごさなければならない日が続きました。
その間、吐き気がずっと治まることがなく、どんなものでも、どんなことでも気分を紛らすことができず、苦しい時間が長々と続いたのです。

そんな時、今日の今この時を耐えれば、時間は流れて行く。
今を耐えればいい。

それだけを考え、時をやり過ごしました。
後回しにすることのできない苦しい時間でした。

でも、そのおかげで今を生きていられるます。(*^-^)

今日で、術後、丸8年。

いろんなことを後回しにしながらも 生きているこの時間を大切にしたいと思うようになりました。
たくさんの方々のお陰です。

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2015年10月25日 (日)

一粒の麦ならぬ、一本のサツマイモ

 

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今年の春のことです。

すっかり忘れて台所の野菜室の片隅で芽が出てしまった小さなサツマイモがひとつ。

食べるには、芽が伸びすぎていたので、庭の片隅に植えました。

すると、そのうちどんどんつるが伸びてきて、そこいら中を緑のじゅうたんにしてしまいました。

そして今日、掘り返してみると、立派なお芋が大小合わせて8個も出てきました。

手入れも何もしていなかったので、予想外です。

不思議です。

一粒の種が地に落ち、そこからたくさんの種ができることは頭では分かっているのですが、こうして目の当たりにすると命の不思議を考えずにはいられません。

3本は今夜、天ぷらにして美味しくいただきました。ψ(`∇´)ψ

残りは、焼き芋か大学芋になって近々お腹に収まる予定です。( ̄ー+ ̄)

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2015年10月 9日 (金)

桃栗三年柿八年

7、8年前のことです。

いただいた柿があまりにも美味しかったので、種を一粒、鉢に植えました。

すると、芽が出て葉っぱが出て、小さな柿の木になりました。

その後、引っ越しをし、5年前、田舎に家を持つことができ、柿も植木鉢から庭の隅に植え替えてやりました。

するとみるみる大きくなり、昨年は1階の屋根の高さにまで育ち、春、花が咲きました。

しばらくするとそれらは小さな実になりましたが、少し膨らんだだけで、そのまますべて落下してしまいました。

そして、今年

同じ木に初めて雄花が咲きました。

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      5月18日  雄花   E-M5 Ⅱ M75-300mm f4.8-5.6

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        雌花     E-M5  M60mm f2,8 Macro

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   6月10日 E-M5 M60mm f2,8 Macro

雌花は、小さな実になりました。

全部で9個です。

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    9月20日

そして、9個すべて立派な平柿になりました。

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   10月7日

種から育った柿は渋柿が多いと聞いていたので恐る恐る食べてみると、これが甘くて美味しいではありませんか。

一粒の種から実った我が家の柿のおはなしでした。(*^-^)

 

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2006年2月 1日 (水)

風呂焚き

数十年前の昭和の時代、我が家では、お風呂を焚くのは子供の仕事だった。

五右衛門風呂に水を張り、鍋蓋のような木の蓋をする。

(この蓋は、収納に便利なため、それとも転がっていかないため? 二分されていた)

それから、いよいよ風呂焚きを始める。

焚口は、鉄の棒が5,6本真ん中に通され、上下に分かれ、灰が下の部分に落ちるようになっていた。

まず前日の灰をきれいに掻き出し、薪を斧で小さく割り、それを焚口の上段に入れる。

下段に新聞を突っ込み、マッチで火をつける。

新聞が燃え上がり、裂いたその木が十分燃え出すのを確認してから、そこに大きな薪を入れていくのだが、最初に入れた焚き木に、火が燃え移らなかったり、またその量が少なかったため、次に入れた薪に火が移らなかったりする。

薪が湿っていても、大きすぎても、火が消えてしまう。そうなると、またもう一度、一から始めなければならなくなる。

水を湯にするという単純な作業であるけれど、季節や薪の大きさなどが違っているので、子供にとっては、大仕事である。

コツや工夫がいる。

盛り上がっている遊びを放り出して、風呂焚きに行くのには少しばかり後ろ髪を惹かれる思いがあった。けれど、子供は元々火遊びが好きである。大手を振ってできる火遊びであったから、少々根気の要る仕事ではあったがちっとも苦にならなかった。

台所からサツマイモを持ってきて、下段で焼いたり、ごそごそ蠢いているだんご虫を放り込んでみたりした。

命の燃える匂いを、初めて知ったのは、ここだったのかもしれない。

いつのまにか妹もやってきて、横にしゃがんで二人して火を見つめていた。

不思議とここでは喧嘩はしなかった。

妹は、一から十まで私の言うことをよく聞き、私も限りなく妹に優しかったような気がする。

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2005年6月16日 (木)

ご苦労様

(トラックバック、初挑戦してみます)

口癖とは、少し違うのですが、使うべきか、使わざるべきかと、いつも頭の中で小さな葛藤を繰り返しながらも、言っている言葉があります。

私にとっての「また言っちゃった!あの言葉」

それは、「ご苦労様」。

暑い中、寒い中、また、夜遅くなってもお仕事をされている新聞の集金の方や宅配便のお兄さんたちに、いつも「ご苦労様です」と、言っていたのですが、
ある日の新聞に
「ご苦労様」は、相手を下に見た言い方だから、私は使いません、という投書が載っていた。

えっ、そう言われれば、そういうニュアンスは・・・確かに・・・

そんな気持ちは、微塵もなく使っていたのだけれど…。
大変ですね。ホントにお疲れ様です、という気持ちを込めて言っているのだけれど。

苦労をかけるな、大儀じゃ、大儀じゃ o(`⌒´*)oエッヘン!
なんて、上段から扇子など手に持って扇ぎながら、決して言ってはいませんよ。

辞書で調べてみた。
「ごくろうさま」とは、「ごくろう」を丁寧に言う語。

では、「ごくろう」は?
・・・・・・他人の苦労を敬っていう語。
・・・・・・他人の骨折りをねぎらっていう語。
・・・・・・他人の無駄な骨折りをあざけっていう語。

う~ん(~ヘ~;)

言葉は、相手の受け取り方によって随分ニュアンスが変わってくる。

いくらなんでも
「ごくろう。今月、新聞代は、ランチ代として使ってしまった。あはは、申し訳ない。ごくろう、ごくろう」
などと、言ってはいないので、よもや、あざけりと取られることはないだろうけれど、
もし、「ごくろうさま」という言葉が、“下”に向けての言葉であると認識する人がいるのなら、
やはり、使うべきではないのかもしれない。

では、何と言えばよいのだろうか?

「ありがとうございます」?

玄関先で、
集金人「ありがとうございます」
私「こちらこそ、ありがとうございます」
なんて、どう考えてみても、滑稽な気がする。

こちらは、お客なんだから、少しは位置を上に置いてもいいのではないかしら?
言葉の上にめいっぱいねぎらいの気持ちをつけて
「寒いところをご苦労様でした」とか
「(夜)遅いのにご苦労様でした」なんて

“(夜)遅いのに”?

( ̄~ ̄;)  はて? これは、皮肉に聞こえるかもしれない!

(w_-; ウゥ・・

しばらく、葛藤、続きそうです。

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2005年4月16日 (土)

ツバメ

昨日、ツバメを見かけました。

今年、初めてです。

巣を作る場所を探していたのでしょうか、2羽でアーケードの中を行ったり来たりしていました。

・・・・・・・

以前、毎年ツバメが巣を作りにくるマンションに住んでいたことがありました。

3階の階段を上ったお隣との共有部分にある蛍光灯の上に一組のツバメが巣を作っていたのですが、高さもさることながら、人の出入りも度々あるので、蛇やカラスから雛を守るのに格好の場所だったのでしょう、次の年は、数が増えて(多分、きっとその子供たちだと思うのですが)、、自分が育ったその巣の周りに新しい子育ての場所を作りはじめました。

そしてその翌年には、そのまた子供たちが近くの壁に、という具合に、どんどん巣の数は、増えていきました。

最初のうちこそ、向かいの部屋の住人と、糞が落ちる辺りにちょっと大きめの箱を置き、新聞など敷いて糞の始末をしていれば事足りていたのですが、数年後には3階への階段を上ってくるには、“頭上注意”の張り紙を張らなければ、というほどの状態になっていました。

まあ、数ヶ月の辛抱だからと、お向かいさんと、糞の始末に精を出していました。

けれども、ある年、ツバメがもう既に何組か入居を始めた頃のこと。

外出先から帰ってみると、跡形もなくそれらの巣はすべて取り壊され、子供がいたずらをしたには、その残骸はきれいに片付けられていました。

チッチ、チッチと鳴きながら、数羽のツバメが、巣のあった土の跡の残る壁に取り付いては、また空しく外に飛び出す動作を繰り返しています。

近所からの苦情で管理会社が始末をしたようでした。

親ツバメは何日かをここで過ごしていましたが、そのうち諦めてしまったのでしょう、どこかへ飛んでいってしまいました。

けれども、しばらくすると又、次のツバメたちがやってきて、巣作りを始めました。

ほぼできかかると、又、壊されます。

その年は、春から夏にかけてその繰り返しが続きました。

そして、次の年からは、ツバメは1組もやって来なくなりました。

・・・・・・・・

毎年ツバメがやってくる季節になると思い出します。

私に抱えられた小さな息子が「チッチ、チッチ」と、指差す先に、まん丸な目をした雛が顔をちょこんと覗かせていたことを。

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2004年11月 5日 (金)

 土、日になると、いつも行くスーパーに生産者の名前の印刷された袋に入った新鮮な野菜が並ぶ。
 近所の農家の方が、畑で採れたものなどを1週間に一度、スーパーに委託して店頭販売されているようなのだが、先日、そのコーナーに、柿が人参やシイタケに混じって並べられていた。
 1個、100円も200円もするような、パック入りの見目形も美しい富有柿とは違う。
 庭の柿の木にたくさんなった実を端からもいで、無造作に袋に詰めたようなものだった。
 中にはいびつな形や煤けたような色のものも混じっている。

 子供の頃、母の実家の裏庭に、大きな柿の木が何本もあった。
 その幹は、大人が抱きついても両手が届かないほどの大きさで、秋になるとそれらがいっせいにたくさんの実をつけた。
 渋柿の木は背が低く、枝を引き寄せれば、簡単に実をもぐことができたが、甘い実のなる木は、背が高く、到底枝にも実にも手が届かない。
 年嵩のいとこがいるときには、木に上ってもらって、上から実を落としてもらっていたが、彼がいないときは、お手上げだった。あまりにも幹が太すぎて、木登りどころか、取り付くことすらできない。下からあの実は赤くて美味しそうだなと、あんぐり口を開けて眺めているばかりであった。

 そんなある年の秋、母と出かけてみると、祖父が“柿もぎ竿”を作っていた。
 それは、長い竹の先に切り込みを入れたもので、その切り込みに、実のなっている枝を挟み込み、くるっと回すと、枝が折れ、柿の実が取れるという至極単純なものだった。
 大人は、これを使っていとも簡単に枝を折り、竿の先に付いた柿の実を私たち子供に取らせた。
 その竿は、子供にとって羨望の的だった。
 大人たちが部屋に入ると、早速、同級生のいとこと、たった今、大人がしまいこんだばかりの竿を取り出し、柿もぎに挑戦した。
 しかし、それを使いこなすのは小学生にとって至難の技だった。
 第一、竿が重い。
 支える力が不安定なため、切り込みに枝を差し込むこと自体が難しい。
 やっと枝を差込み、嬉々として竿をひねるが、それと同時に、ほとんどの柿が枝とともに地面に落下してしまう。
選んだ柿が硬い甘柿なら良いが、熟し柿となると悲惨な結果になってしまう。
 切り込みに実の付いた枝を挟んだまま、手の届くところまで下ろせないと何の意味もないのだ。
 食べる事はそっちのけで、柿もぎに熱中した。

 柿の出回る時期になると思い出す。
 あの時食べた柿の味は忘れたけれど、天空高く突き上げていた竿の重さは、今でもまだ腕の中に残っている。

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