柿
土、日になると、いつも行くスーパーに生産者の名前の印刷された袋に入った新鮮な野菜が並ぶ。
近所の農家の方が、畑で採れたものなどを1週間に一度、スーパーに委託して店頭販売されているようなのだが、先日、そのコーナーに、柿が人参やシイタケに混じって並べられていた。
1個、100円も200円もするような、パック入りの見目形も美しい富有柿とは違う。
庭の柿の木にたくさんなった実を端からもいで、無造作に袋に詰めたようなものだった。
中にはいびつな形や煤けたような色のものも混じっている。
子供の頃、母の実家の裏庭に、大きな柿の木が何本もあった。
その幹は、大人が抱きついても両手が届かないほどの大きさで、秋になるとそれらがいっせいにたくさんの実をつけた。
渋柿の木は背が低く、枝を引き寄せれば、簡単に実をもぐことができたが、甘い実のなる木は、背が高く、到底枝にも実にも手が届かない。
年嵩のいとこがいるときには、木に上ってもらって、上から実を落としてもらっていたが、彼がいないときは、お手上げだった。あまりにも幹が太すぎて、木登りどころか、取り付くことすらできない。下からあの実は赤くて美味しそうだなと、あんぐり口を開けて眺めているばかりであった。
そんなある年の秋、母と出かけてみると、祖父が“柿もぎ竿”を作っていた。
それは、長い竹の先に切り込みを入れたもので、その切り込みに、実のなっている枝を挟み込み、くるっと回すと、枝が折れ、柿の実が取れるという至極単純なものだった。
大人は、これを使っていとも簡単に枝を折り、竿の先に付いた柿の実を私たち子供に取らせた。
その竿は、子供にとって羨望の的だった。
大人たちが部屋に入ると、早速、同級生のいとこと、たった今、大人がしまいこんだばかりの竿を取り出し、柿もぎに挑戦した。
しかし、それを使いこなすのは小学生にとって至難の技だった。
第一、竿が重い。
支える力が不安定なため、切り込みに枝を差し込むこと自体が難しい。
やっと枝を差込み、嬉々として竿をひねるが、それと同時に、ほとんどの柿が枝とともに地面に落下してしまう。
選んだ柿が硬い甘柿なら良いが、熟し柿となると悲惨な結果になってしまう。
切り込みに実の付いた枝を挟んだまま、手の届くところまで下ろせないと何の意味もないのだ。
食べる事はそっちのけで、柿もぎに熱中した。
柿の出回る時期になると思い出す。
あの時食べた柿の味は忘れたけれど、天空高く突き上げていた竿の重さは、今でもまだ腕の中に残っている。
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